発端
Beatroseの楽曲がJOYSOUNDで配信開始された。
せっかくなので、実際にカラオケ店へ行って確認してみることにした。
目的は単純。
ちゃんと配信されているか確認すること。
それだけだった。
現状認識
少しややこしい話になる。
実は10年以上前にも、自宅録音で制作した楽曲を配信していたことがある。
だから、
「自分の曲が配信された」
という体験そのものは初めてではない。
当時は今のようなAIもなければ、便利な配信環境もなかった。
それでも、自分なりに曲を作り、自分なりに公開していた。
だから今回も、
配信そのものに対する驚きは意外と少なかった。
部屋に入り、リモコンを手に取る。
アーティスト名で検索。
曲名で検索。
ちゃんと出てくる。
当たり前と言えば当たり前だ。
配信されたのだから。
でも、自分の曲がカラオケ検索結果に並んでいる光景は少し不思議だった。
Spotifyとも違う。
YouTubeとも違う。
「カラオケで歌う曲」として存在している。
その事実が妙に新鮮だった。
想像していたこと
正直に言うと、
もっと感動すると思っていた。
検索した瞬間。
再生した瞬間。
何か特別な気持ちになると思っていた。
長年音楽をやってきた人が語るような、
夢が叶った瞬間。
そんなものを少し想像していた。
実際に起きたこと
もちろん嬉しかった。
でも一番強かった感情は、
感動ではなく確認だった。
「あ、本当に入ってる」
「ちゃんと再生できるかな」
「エラー・・・・」まじ?なんで?
試行錯誤すること30分。となりの部屋は空いてたので勝手に入って切り分ける。
気が付けば、
利用者というより保守員のような作業になってた。
隣の部屋、再生OK。俺の部屋、NG。「店員さん、部屋変えて。」
現地レポートに近い。
そして歌ってみた。
遠慮なく大音量。やっぱりいいね。
昔作ったメロディ。
最近完成させた楽曲。
それを自分で歌う。
冷静に考えると、なかなか変な状況である。
構造
今回歌った曲の中には、
何十年以上前に作ったメロディも含まれている。
それが今、
AIや新しい制作環境の力も借りながら、
カラオケで流れている。
感動というより、
不思議な感覚だった。
何十年以上前の自分が置いていったメモを、
今の自分が回収しているような感覚。
そんな時間のズレを感じた。
もう一つ面白かったことがある。
ガイドボーカルである。
音量を上げると、
想像以上にちゃんと歌う。
しかも深めのエコーまでかかっている。
録画した動画を見返していて思った。
「これ、知らない人が聞いたら俺が歌ってると思うかもしれない」
もちろん違う。
配信版のボーカルである。
でも、それくらい自然だった。
本質
配信版のボーカルは普通に上手い。
ピッチ。完璧やね。
ビブラート。やるやん。
安定感。負けたわ。
正直、技術的な完成度だけで見れば、自分より上だと思う。
まあ当然だ。
相手は機械である。
毎回完璧に歌う。
ミスも疲れもしない。
ただ、それでも面白いのは、
本人が歌う意味がなくなったわけではないことだった。
上手さとは別の価値がある。
少なくとも、自分にはそう感じられた。
結論
今回の目的は配信確認だった。
でも実際に持ち帰ったものは別だった。
カラオケ配信という出来事そのものが、
新しいコンテンツになった。
ショート動画になった。
制作ログになった。
SNS投稿のネタになった。
配信されたら終わりだと思っていた。
でも実際は違った。
配信されたことで、
新しい遊び方が増えた。
今回感じたのは、
「配信された感動」ではなかった。
ずっと前に作ったメロディが、
今の技術で完成し、
カラオケで流れ、
そして自分自身が歌っている。
その不思議さだった。
音楽活動というより、
昔の自分と今の自分をつなぐ確認作業。
そんな一日だった。


コメント